平成22年度福井県立高校学力検査 国語 第2問
入学試験の国語の問題を検討してみました。
第2問は現代文読解の問題です。
まはら三桃 「たまごを持つように」(講談社)の一部抜粋を読んで問いに答えます。
問題自体はさほど難しくないのですが,気になったのはこの小説の叙述形式です。
小説家は,物語中の語り手の人称を選択して文章を組み立てていきます。その結果,小説は,一人称小説,三人称小説,その他に分類されます。
通常は,小説の最初から最後までこの人称が変わることはありません。もし変わってしまうと読者が混乱してしまいます。
私のようなド素人が小説を書くとなると,人称が入り乱れて,非常に読みにくい文章ができあがるおそれがあります。
物語によっては,途中で人称が変わるものもありますが,それは小説家の狙いであって,ミスではありません。
これを踏まえて上記問題の文章を読みますと,どうも人称が入れ替わっているように思えるのです。私の思い違いでしょうか。
第2段落では,文末に「……わたしの方だ。」と書かれているように,ここでの語り手は一人称です。第3段落も同じです。だからこの小説は一人称小説のはずです。
第4段落以降になると,「早弥」,「実良」,「由佳」,「春」といった人物が登場してきます。そうなると,これら4人以外の誰かの視点で物語が書かれていることになります。
誰の視点で書かれているのだろうと考えながら読み進めたところ,「早弥」の視点で書かれていることに気づきました。
つまり,この小説は,「早弥」の一人称小説なのです。
ところが,そうとは思えない文が散見されます。
例えば,第4段落に「大きなため息をつく早弥に,『これ,届けてやろう。」と,春が実良の荷物に指をさした。」という文章があります。これは明らかに早弥の視点ではありません。まるで三人称小説です。人称が入れ替わっています。
物語文では,登場人物を把握することが大切です。そうしないと正確に問いに答えられなくなります。
この点,この物語は,人称があやふやで登場人物が分かり難くなっています。出題者は故意にこのような物語を選んだのでしょうか。
この物語は,きっと評価の高いものなのでしょうけれども,少なくとも抜粋されたこの一部は決して読みやすい文章ではありません。中学生は,原則通りの文法や約束事に即した正しい文章を読むべきだと思います。例外的な文章やトリッキーな表現には,原則を理解した後に当たるべきでしょう。
なぜにこのような文章を,しかも高校入学試験に出すのか理解に苦しみます。
受験生は,既に原則通りの文章表現を理解しているだろうから,少々分かり難い文章でも読ませてみようという試みなのでしょうか。
それとも,この文章を私が読み違っているのでしょうか。
いずれにしてもご意見いただけると幸いです。
先日も書きましたが,国語嫌いが多くなっている原因の一つは,分かり難い文章を読ませていることにもあるのではないでしょうか。
美しい文章を読ませ,正確な日本語を書かせるといった指導が大切だと思います。
題材としては興味を引かないかもしれませんが,文豪と言われる小説家の文章はすばらしいです。国語の学習の題材にはそのようなものを使うべきではないでしょうか。中学生に迎合しすぎているのが気になります。
ここまで人称の入れ替わりについて書いてきましたが,この入学試験の問題については,それに気づかなくても何となく解けてしまうのです。
拍子抜けなのです。
「人称が入れ替わっているか否か」というような問題があれば拍手なのですか……。